mittlee読書と経済雑記ブログ

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疫病と世界史、感染症と人類(その3)‐歴史時代、古代、農耕と牧畜と感染症

今回の内容

 大型狩猟獣の大規模絶滅に伴い、人類は別の食料確保手段を見出す。海や海浜の資源の利用、植物の収集、調理、粉ひき、加熱、そして発酵。中でも人類にとって重要なのが植物の栽培と動物の家畜化だった。そして都市と農村という文明社会。これよって、人類と病気の関係も変化する。今回のテーマは古代の人類と疫病の関係である。

 

 今回もウィリアム・H・マクニール著、『疫病と世界史』の紹介の続き。寄生虫、菌類、細菌類など様々な病原体がもたらす疫病が、人類の歴史にいかに影響を与えたかを先史時代から20世紀まで論じた野心作である。

 内容について要約をしているが、本書の原著が1976年に出版されたことにご留意いただきたい。

 

 前回の記事はこちら。

 

mittlee.hatenablog.com

 

 

 

目次

 

トピック:歴史時代へ

飼育と栽培

 人類と飼育栽培の可能性を持つ様々な種との間に、相互適応が行われた過程があったと著者マクニールは推測する。

 飼育栽培対象の動植物は、特定の有用な性質を中心として偶然的なあるいは人為的な淘汰が加えられた結果、生物学的な形質に急速で大幅な変化が生じた。

 他方で人類の方では農耕という日々繰り返される重労働を拒んだ個人、毎年の種となる穀物を取っておけないような個人は共同体から排除されたのではないかとみる。

 ここでは下記のようないくつかの共通の事象が見られる。

  • 特定の動植物のみの繁殖、他品種の締め出し
  • 生物的多様性の喪失、地域的な動植物のポピュレーションの均一化
  • 生産食物を人類だけに消費に供する、食物連鎖の短縮
  • 人間の略奪者の襲撃からの安全の確保、政治組織の誕生
栽培

 作物の栽培にあたっては、雑草の退治というのが最初の仕事になる。人類が用いたと思われる特に有力と思われた技法は下記の2つである。

  1. 湛水灌漑
  2. 土壌表面の物理的変化(耕起、焼き畑など)

 灌漑により、湿地ではない普通の土地に対して水に浸かるときと乾燥したときの極端な状態を1つの農耕年の間に作り出す。稲のような両者に適性を持つ植物以外を排除することができる。

 農地を鋤やシャベルあるいは棒で物理的に攪拌することで、生育作物が日光や養分を確保できるようにする。休耕もまた、雑草の生育サイクルを乱すという点で、栽培への助けとなった。副作用として単一種による過剰汚染などはあったが、観察できる限りは対処はされたと推測される。

 農耕は果てしない労働に人類を縛り付ける。人類はその対価として自然の生態的バランスを乱し、食物連鎖の短縮、消費量の増大、人口の増加を可能にした。しかし、これは寄生生物にとっての潜在的食物の密集を意味している。

飼育

 飼育可能動物は旧世界と呼ばれるヨーロッパ、アフリカ、アジア地域に多いと言われている。新世界、南北アメリカ大陸は有用な植物に富む一方で家畜化可能な生物に乏しい。旧世界は栽培可能植物だけではなく、家畜化可能な動物の広範な種類が揃っていた。

 家畜の飼育は人類に食料や資源をもたらしたが、同時に難点を持つ。文明特有の感染症のすべてに近い大部分が動物から由来すると推定される。

 天然痘は牛痘やその他の家畜の感染症と密接に関わる。インフルエンザは豚にもヒトにもかかる。本書の中では参考としてヒトとヒトに関連する動物と共有する病気の数を列挙している。

  • 家禽類:26
  • ネズミ類:32
  • 馬:35
  • 豚:42
  • 羊および山羊:46
  • 牛:50
  • 犬:65

  ヒトと飼育動物間の感染症が細分化されていること、ヒトとの親密さの度合いに応じて共有する感染症の数が増えていくという傾向が見られる。

 

ミクロの寄生者

 雑草や大型捕食者に対して勝利を収めた人類だが、小型寄生生物である捕食者からの痛烈な反撃を受けた。 作物、家畜、ヒトに対する病気の暴威は、全歴史時代を通じて人類に深刻な影響を与え続けた。

そして、近代の医学上の諸発見が疾病伝播の重要なパターンをいくつか明らかにする以前、なす術を知らぬ人類に何が起こったかを理解しようという努力こそ、ほかならぬ本書の存在理由(レゾンデートル)だった。*1

 

  村落の所在地の固定化は、新しく寄生生物に侵される危険を伴う。居住地のすぐそばに蓄積される糞便に接触する機会が増えることで、または不潔な生活用水を介して寄生生物の宿主間の移動が容易になる。

 比較的温暖な地域での灌漑農耕は常に十分な水分が浅く張っていることになる。そこに宿主となる可能性を持つ人々が絶えず訪れ、歩き回る。寄生生物にとっては乾燥から身を守る保護嚢子その他の形態すら必要なく、宿主間を移動することができる好条件だった。5000年程度の差はあるが、今日の灌漑農耕民や稲作農民の間の健康被害と寄生生物の生活形態には共通する点があると推測される。主な例を2つ紹介する。

 巻貝類という中間宿主を介してヒトに感染する、住血吸虫症をマクニールは例として挙げている。幼虫は水中を移動し、巻貝に感染、巻貝の中で2段階目の幼虫になり、さらに人に感染して成虫となる。紀元前1200年のエジプトや、紀元前2世紀の中国の大河流域地方では住血吸虫症は確認されていたとされる。*2

ja.wikipedia.org

 

 宗教上の沐浴での密集、巡礼者の旅による感染症の伝播なども存在したと推測される。

  多細胞寄生虫の蠕虫類だけではなく、原虫類やバクテリア、ウイルスなどの感染症にとっても、ヒトのポピュレーションの増大は好都合だった。

 マクニールが別の例として挙げているのは人類を苦しめた寄生虫症として悪名高いマラリアである。雑草類によって生を営むアノフェレス・ガンビアエという蚊は、人類の焼き畑農業後の土地を好機と繁殖する。ヒトの血を好んで吸うこの蚊が終宿主であるが、人は中間宿主としてマラリアに感染してしまう。

 ヘテロ接合体(同じ遺伝子を持たぬ両親から生まれた子)で鎌状赤血球を出現させる遺伝子保有者の割合がアフリカでは増加した。マラリア原虫への抵抗力は増すが、代償も大きい。同型接合体の多くの場合は成人になる前に死亡してしまう。

 

ja.wikipedia.org

 

 上記2つは第三者たる生物を介する感染症だった。しかし、人口が一定規模を超えることで、中間宿主を持たずに感染症の持続が可能となる。

(省略)あらゆる文明化した共同体に、遅かれ早かれ、疾病への罹患に関してひとつの共通した重大な変化が到来したことは推定できる。その変化とは、農耕民の人口密度が増していき、ある限界を越えると、バクテリアとウイルスの汚染が、ヒト以外の動物の中間宿主に頼らずとも、いつまでも存続する事態が生じる、ということである。*3

 

 感染症は、宿主を即座に滅ぼしても、宿主の免疫に即座に駆逐されても存在が継続しない。 

つまり、新しい病気の安定したパターンが成立するのは、双方が最初の衝撃的な遭遇をなんとか凌いで生き残り、適切な生物学的、文化的適応によって互いに許容し得る調停を果たしたとき、初めて可能なのである。そして、この適応の全過程で、バクテリアとウイルスは、世代の交代する時間がはるかに短いという利点を備えている。(省略)*4

 

マクロの寄生者

 吸虫類やその他の寄生虫症によってもたらされる病、肉体的疲労と慢性的な不快感は灌漑や農作などの日常労働や重労働、外敵の侵入からの防衛という大仕事を困難にする。この状態は、武器を持ち、組織された人類の他集団の侵略行為、収奪というマクロ寄生を容易にする。

 文明の歴史のほんの黎明期にあって、成功した略奪者とは征服者になった連中のことだった。つまり、収穫物の全部ではなく、一部だけを奪うという形で農耕民を収奪する手法を編み出した者たちである。*5

 感染症が恒常的に根を下ろしている集団は、健康な社会と対比するときに疫学的に恐ろしく強力である。マクニールは、悪疫は軍隊と共に行進したと喩えている。

(省略)強大な軍事的政治的組織を拡大してゆくことになるマクロ寄生は、バクテリアとウイルスによるミクロ寄生と合した時、ヒトのポピュレーションが生み出す生物学的防衛機能を、有力な援軍として持っていると言える。(中略)悪疫はしばしば軍隊と共に、あるいは軍隊のあとに付いて更新したのだ。*6

 

都市と農村

 水利灌漑に農耕が依存する地域(メソポタミア、エジプト、インダス河流域、ペルシャ湾岸など)では、社会の維持に何らかの権力の統制を必要とした。都市と文明のはじまりである。

運河や水路の計画と建設、それを維持していくための共同作業、そして何よりも、我勝ちに水を奪い合う人びとに灌漑で引いた用水を割り当てる仕事、すべてが何らかの意味で権威ある統率力の存在を必要とし、またそれを招来した。都市と文明はこうして誕生した。その特徴は、村落の生活では想像もできないほど大規模な労働力の組織化と諸技術の専門化だった。*7

 ある一つの病気がいつまでも生き残るためには、宿主となるヒトが巨大なメガロポリスのような形でとして集合している必要がある。他方で、田舎の共同体に病気に感受性のある人口が十分に存在している場合、都市を飛び出して村から村、家から家へと駆け巡る。しかし、農村部の人間が一通り感染症にかかってしまうことで、爆発的に流行した後に急速に衰える。しかし、病気に感受性のある人が絶えず増え続ける都市の中心では感染症は生き残る。マクニールは、はしかの感染に必要な都市の規模50万人と古代シュメールの人口規模がおおよそ一致する偶然を記述している。

ja.wikipedia.org

 

 マクニールは、都市は下記の二重の意味で農村、地方の農耕民を必要としたと述べている。

  1.  都市の住民が消費するための余剰食糧の生産
  2.  都市住民の数を維持するための余剰人口の供給

 まず第一にこの上なく明白なことは、人的資源の再生産構造が、文明という環境を利用してはびこる病気との絶えざる接触からくる人口の恒常的な減少傾向に、対応するものとならねばならなかったということである。都市というものは、ごく最近まで、周囲の田園地帯から相当な数の流民を絶えず受け入れていなければ、その成員数を維持してゆくことができなかった。ともかく、都市生活は住民の健康にとってそれほど危険が大きかったのだ。

(中略)

田舎の余剰人口はまた、マクロ寄生つまり戦争と略奪およびそうした事件に付き物と言ってよい飢餓から来る消耗を、補うものでなければならなかった。

*8

 

文明圏の拡張

 成功した文明は全て田舎から都市への物資と人の流入を、宗教と法と慣習の強制力を動員することで確保していたとマクニールは述べる。

 文明社会の再生産基準は地方の深刻な人口過剰を引き起こしうる。それを防ぐには都市に移動する危険を多数の男女に、受け入れさせる必要があった。

 安定したマクロ寄生の構造は長期間持続することはなかった。平和な世が続きマクロ寄生の消化吸収(戦争等での人口減少)の能力を超えて人口が増えると、社会秩序の崩壊による死亡率の急上昇という現象が出る。人口の回復には一定の期間を要する。外部からの細菌や武装した人間集団という攪乱要因が存在する。

 文明社会の国王と軍隊は国内の人口過剰の危険を解決するための手段として、しばしば征服戦争を用いた。征服戦争は成功した場合には開拓すべき新天地の獲得をもたらす。そして成功失敗に関わらず死者の急増をもたらした。

 交易も過剰人口の解決策のひとつだった。しかし、陸運費は高く、充分な数の人口が繁栄できたのは、数世紀前までは海の近くと航行可能な河川の周囲に限られた。

 

 それでも文明は広がっていく。感染症への抵抗力を持たない都市の周縁の小さな集団に都市の感染症がたどり着いたときに社会が揺らぐ。20代や30代の人口が減ることにより、より大規模な集団への抵抗力を失い、文明に吸収されるのである。

文明化した形態の社会組織が支配する地域は何十世紀もの間に着実に増大していった。ところが、ひとつひとつ独立した文明圏の数そのものは、いつの時代にも決して多くはなかった。(中略)文明は、既に発展の極に達した大中心地から、その文明の根底をなす文化的諸要素を新しい土地へと輸出するものなのである。(中略)それは意図的な政策やマクロ寄生の諸構造から出てきた結果ではなく、ミクロ寄生の力学から生じた現象である。*9

 この文明の拡大をもたらしたミクロ寄生、感染症は、軍隊による略奪や新しい土地に探りを入れる交易によって広まっていった。文明社会のみが免疫を持っていたときに、侵入の障壁が無い場合はより小規模な集団が取り込まれる結果となる。

 気候(寒冷、温暖、乾燥、湿潤)や地域(山岳部など)によって、文明圏の従来の耕作法が適用できないような地域と少しずつ接触が行われた場合は状況が異なる。地方民の人口が恢復して再帰する、他地域の住民を取り込む、文明側にも地方の感染症が入り込むという関係性が長期にわたり繰り返された場合は、文明に取り込まれない集団が残りうる。

 マクニールは、このテストケースとして紀元前1500年以降の古代インドへのアーリア人の侵入を挙げている。感染症をインドへ持ち込んだものの、彼らはインド土着の感染症に曝されて東部と南部を既存の文明で上書きできずに土着の文化を取り込んだと推測している。

 

まとめと感想

 都市文明の発生から紀元前500年までの間に、旧世界の主な文明のすべてがヒトからヒトへとうつる感染症のひと揃いを備えてしまった。より年代が下るに従い、人類の歴史に多数の感染症の痕跡を確認できるようになる。

 生活用水を通じて、あるいは昆虫を媒介とし、また直接の皮膚の接触等によってうつる感染症も、住民が密集した都市、それにかなりの人口密度の近郊農村地帯に、大規模に広がっていた。このように、病気に侵されていると同時に病気への抵抗力をもっている文明圏の住民は、それほどの恐ろしい感染症群に馴れていない隣人たちにとって、生物学的に危険な存在だった。この事実のおかげで、文明圏の住民は、おのれらの領土の拡張を、その条件が無かったと仮定した場合に比べ、はるかに容易に実行することができた。*10

 

 定住や農耕、牧畜、都市化に伴う感染症が紹介されていた。本章では野ウサギなどの動物の事例や小児を主に対象とする感染症の事例も語られている。ぜひ手に取ってお読みいただきたい。

 人類と緊密な動物との病気の共有のくだりは、もやしもんのUFO研の豚と鶏とインフルエンザと密室の危ない組み合わせを思い出してしまった。二千年以上にわたり、人類の生活の課題となっている点ではあるし、フィクション現実を問わずに未だに聞く話である。

 都市の人口過密、農村と都市の人流が感染症を広げる話は現在のCOVID19のパンデミックとも共通する要素だと感じる。

 

 

 

 

*1:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P86

*2:余談だが、住血吸虫症は日本でも1900年代後半、40年ほど前までは問題になっていた。人類と感染症の戦いの歴史の一つの解説として下記のWikipediaの記事がよく知られている。世界では21世紀に入っても続いている。

*3:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P96-97

*4:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P109

*5:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P104

*6:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P105-106

*7:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P88

*8:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P116-117

*9:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P125

*10:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P136

自分の中に毒を持て、芸術とは生きること、岡本太郎が考える自分との闘い方

 人は生きていく中で悩む。仕事か、家庭か、人間関係か、健康か。日々通勤と仕事、家に帰っては生計費の支払いに家事(+育児、介護他)と追われる生活の繰り返し。何かに縛られている感じがする。何かの真似事をしている気がする。組織に振り回されている。己を大したことはないと思い、好きになれない等。

 上に列挙した悩みは誰しも多かれ少なかれ持っていると思う。どうにかして現状を打破できないかと思い悩んでいる読者諸氏もいらっしゃるだろう。本ブログの筆者は答えを持ち合わせていないが、岡本太郎は上記の悩みに対して言いたい放題に意見している。30年近く前に。

 

 この記事では、岡本太郎著、『自分の中に毒を持て』を紹介したい。人間の生き様、社会との関わり方について、岡本自身の体験談や洞察を交えながら平易な言葉で意見が語られていく。これを読むことで何か人生のヒントが見つかるかもしれない。

 

自分の中に毒を持て<新装版>

自分の中に毒を持て<新装版>

 

 プレッシャーをかけてくる表紙である。副題はsacré néfaste(フランス語:直訳だと有害な神聖さ。フランスでジョルジュ・バタイユとも若い頃に親交があったという著者岡本なので、聖俗の意で副題を付けているかもしれない)。

  

エロティシズム (ちくま学芸文庫)

エロティシズム (ちくま学芸文庫)

 

 

 岡本太郎は日本の芸術家である。1911年に神奈川県で生まれた。1929年にフランスに渡り、パリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参加。民俗学なども学ぶ。40年に帰国後は42年から中国大陸へ出征。45年の戦後は主に日本で活動。1970年の大阪万博の『太陽の塔』は今も日本中に知られている。1996年没。

 『自分の中に毒を持て』は1993年に出版された著作である。今回読んだのは青春出版社、青春文庫の新装版である。

 

 

目次

 

本書のテーマ

 本書でテーマにしているのは人の生き方、今までの自分を乗り越えるための自分自身との闘いである。芸術というのは生きることそのものである。皆さんもご存じのあのフレーズ、芸術は爆発だについて岡本が語っている言葉を紹介する。

ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。

"芸術は爆発だ"

(中略)

 ところで一般に「爆発」というと(中略)、イメージは不吉でおどろおどろしい。が、私の言う「爆発」はまったく違う。音もしない。物も飛び散らない。

 全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。

*1

  本書の随所で語られる、過激にも思える太郎節の根底には、この「爆発」の考え方がある。

 

迷ったら危険な道に賭ける

 人生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。それには心身ともに無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、命は分厚く、純粋にふくらんでくる。

 今までの自分なんか蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。

*2

  岡本は、自分らしくではなく、"人間らしく"生きる道を考えるように呼び掛ける。周囲の状況に甘えて生きるのではない。安易に生きそうになるときは自分を敵だと思うのだと。たとえ結果が悪くても、自分は筋を貫いたんだと思えば、これほど爽やかなことはないと。

 人生の岐路では、他の人も向かう道、無難な道、安全と思える道を選びがちである。しかし、岡本は危険な道を選んできたと述べる。経済やしがらみ、惰性的な道ではない。人間の全存在、生命それ自体が完全燃焼するような生に賭けるべきではないかという己への問い。それは即ち、人と異なる道、危険な道を選ぶことになる。

 しかし、その道の先は極端に言えば死を意味する(社会的に、経済的に人がいない場所であるのならば。)。それでも社会の分業の中に己を閉じ込めずに、自分が信じる芸術の道に彼は進んだのである。

 彼はこう述べる。

 青年は己の夢にすべてのエネルギーを賭けるべきなのだ。勇気を持って飛び込んだらいい。

 他人の人生をなぞるのではなく、己の人生を生きよと。不成功を恐れてはいけない、自分の夢にどれだけ挑んだか、努力したかが重要だと。安全な道と危険な道を前にして悩むということは、危険な道だけれどそちらに行きたいからに違いないと。ならば進んでみよと。

 ちょっとしたことでもいい。情熱を感じることを始めてみるのだと。三日坊主になってもいい。しかし、「いずれ」と「昔は」を言わないこと。現在に全力を尽くすのだ。

 自己嫌悪なんてして己を甘やかしていないで、自分の惰性ともっと徹底的に戦ってみようと岡本は呼びかけている。

 

個性は出し方

 社会体個という問題は避けて通ることができない。大きな、重い、人間の宿命だ。

  しかし、この闘いはキツイ。妥協、屈辱の結果、欲求不満、いらだち、告発が群がりおこる。(中略)

 世の中の人ほとんどが、おなじ悩みを持っていると言ってもいい。不満かもしれないが、この社会生活以外にどんな生き方があるか。ならば、まともにこの社会というものを見すえ、自分がその中でどういう生き方をすべきか、どういう役割を果たすのか、決めなければならない。

 独りぼっちでも社会の中の自分であることには変わりはない。その社会は矛盾だらけなのだから、その中に生きる以上は、矛盾の中に自分を徹する以外にないじゃないか。

 そのために社会に入れられず、不幸な目にあったとしても、それは自分が純粋に生きているから不幸なんだ。純粋に生きるための不幸こそ、ほんとうの生きがいなのだと覚悟を決めるほかない。

*3

  「出る釘は打たれる」という諺から始まり、個人の社会への向き合い方について岡本は語る。相手が教師でも、暴力的なガキ大将でも理不尽なことには抵抗する、自分の芯は貫くというのが岡本の生き方だ。才能のあるなしに関わらず、自分として純粋に生きることが人間の本当の生き方だと述べている。

 人生には世渡りと、本当に生き抜く道との二つがあるはずだと岡本は語る。処世的な道だけを意識するのではいけない。単純なようで複雑な人生を強力に意識し、操作することが必要なのだ。

 全体的、全運命的責任を取ること。自由に、明朗に、周囲を気にしないでのびのびと発言し行動する。難しいことだが苦痛であればあるほど、挑み、乗り越え、自己を打ち出さなければならない。たとえ下手でも挑むのである。

 挑み続けて世の中が変わらなくとも、自分自身は変わる。岡本は世の中が変わらなくても絶望的にならずに挑み続けることで生きがいを貫いていた。

 

愛し方、愛され方

 岡本はここでは恋愛とその他の愛(家族愛など)について語る。まずは恋愛である。

 僕の場合は、どっちの方がより深く愛しているなんて特に意識したことはない。恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがあると思う。

 だから、恋愛も自分をぶつける対象としてとらえてきた。恋愛だからどうだとか、こだわって考えたことはない。

 *4

  運命的な出会いとは、相手を充たすと同時に自分が本当の自分になることだと述べている。恋愛とは自分をぶつける対象である。

 岡本は結婚という形式が好きではないと述べる。曰く、男と女が互いを縛りあう。〇DKという狭い境界に引きこもる。人間の可能性をつぶし合う。結婚という不自由を言い訳に自らが自由を実現できないことのゴマカシにする、妻子があると社会的なすべてのシステムに順応してしまう。一人ならうまくいこうが死のうが思いのままの行動を取れるetc......。

 夫婦である以前の、無条件な男、女でいる立場。新鮮な関係にあるようにしていかなければ一緒にいる意味がないとしている。最も親密な相手であると同時に、お互いが外から眺め返すという視点を忘れてはいけない。

 

 その他の愛についても、岡本は語っている。

(前略)実際にそんなことは不可能だけれど、わが亭主、わが親、わが子って、小さく仕切ってしまうのは、つまらない生き方だと思う。

 そうでなく、世界中の子供はみんな自分の息子だ、世界中の親はみんな自分の親だ、そういうおおらかな豊かな気持ちを持ちたいと思う。

*5

 小さな愛に閉じこもってはならないと述べる。

 親子愛についてはこう語る。

ぼくは生きるからには、歓喜がなければならないと思う。歓喜は対決や緊張感のないところからは決して生まれてこない。そういった意味で、親子の間にも、人間と人間の対決がなければならない。 

*6

 この対決とは、物理的に傷付けあうことでは決していない。大人が一段上から語るのではなく、子供にであっても対等に一人の人間として接することを良しとしている言葉である。

 

常識人間を捨てる、興奮と喜びに満ちた自分になる

 「美しい」と「きれい」は異なる。「きれい」は体裁のいいものである。しかし、「美しい」は無条件で絶対的なものである。ひたすら生命がひらき高揚した時に美しいという感動が起こる。それは一見醜い相を呈することがある。

 最も人間的な表情を、激しく、深く、豊かにうち出す。その激しさが美しいのである。高貴なのだ。美は人間の生き方の最も緊張した瞬間に、戦慄的にたちあらわれる。

*7

  

 岡本は、芸術・政治・経済の三権分立が今この世界で必要とされていると提唱する(もちろんモンテスキューの政治の三権分立、「立法」「司法」「行政」のオマージュである。)。ここでいう「芸術」とは、「人間」のことである。

(前略)素っ裸で、豊かに、無条件に生きること。

 失った人間の原点をとりもどし、強烈に、ふくらんで生きている人間が芸術家なのだ。

 もっと政治が芸術の香気を持ち、経済が無償と思われるような夢に賭ける。

 (中略)あまりにも非人間的なあり方に「人間存在」と息吹をふきいれ、生きがいを奪回すべきなのである。

*8

 政治と経済の馴れ合いがすべてを堕落させる。ここに「芸術」によって生命力・精神を生き返らせる必要があると岡本は述べる(岡本は技術主義と経済優先による人口爆発や環境破壊等についても懸念を述べている。)。

 本書のテーマにて記述済みだが、岡本は生きるということを本来無目的非合理なものだと述べている。だからこそ生きがいがあり、情熱がわくのだと。

 例えば人は祭りのときに日常の自分とは異なる濃い生命感に生きる。「いのち」を確認し、全存在として開く。

ぼくは今まで一度も職業を持つことが、卑しいなどと言ったことはない。(中略)

 しかし、そのために、全人間として生きないで、職業だけにとじこめられてしまうと、結局は社会システムの部品になってしまう。

 それがいけない、つまらないことだ。

 ぼくの言う三権分立の「人間」=「芸術」が抜けてしまう。現代社会の一番困った、不幸なポイントだ。

*9

 

 岡本太郎は、今、現時点で人間の一人ひとりはいったい本当に生きているのだろうかと問題提起をしている。個人財産やマイホームの無事安全ばかりを願うのでは卑しい。生きがいを持って瞬間瞬間に自分をひらいて生きているかと問う。

 人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。

 死ぬのもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。

*10

 己を殺す決意と情熱をもって挑み、危険の中で生きぬくことを岡本は説いている。

 

まとめ

 日常と祭りの話や死との直面など、バタイユを連想する部分もある。

 本書では一貫して、人間として何かに挑んで生きているか、生きがいを持っているかということを問うている。しかし、何かに挑むということは安全から己を遠ざけ、死に向かわしめる毒でもある。現代社会においては甘美だが危険なものに違いない。

 日々の中に迷いを抱き、それでも何かを成し遂げたいとき、岡本太郎の言葉は(結果は保証してくれないが、)私たちの背中を押してくれるかもしれない。 

 

*1:岡本太郎, (1993).『自分の中に毒を持て』 青春出版社, P214-P216

*2:岡本太郎, (1993).『自分の中に毒を持て』 青春出版社, P11

*3:岡本太郎, (1993).『自分の中に毒を持て』 青春出版社, P116-P119

*4:岡本太郎, (1993).『自分の中に毒を持て』 青春出版社, P176

*5:岡本太郎, (1993).『自分の中に毒を持て』 青春出版社, P192

*6:岡本太郎, (1993).『自分の中に毒を持て』 青春出版社, P193

*7:岡本太郎, (1993).『自分の中に毒を持て』 青春出版社, P204

*8:岡本太郎, (1993).『自分の中に毒を持て』 青春出版社, P212-P213

*9:岡本太郎, (1993).『自分の中に毒を持て』 青春出版社, P241

*10:岡本太郎, (1993).『自分の中に毒を持て』 青春出版社, P246

疫病と世界史、感染症と人類(その2)‐先史時代、狩猟者としての人類

 人類も元々は自己調節を行う生態的バランスの中に収まっていた。典型的なのは食物連鎖である。大型動物たちとの間の食べたり食べられたりという関係はダイナミックで分かりやすい。しかし、熱帯に暮らす人類には微細な寄生生物も巣食っていた。今回のテーマは生態系の中での人類と疫病の関係である。

 

 前回に引き続いてウィリアム・H・マクニール著、『疫病と世界史』を紹介する。寄生虫、菌類、細菌類など様々な病原体がもたらす疫病が、人類の歴史にいかに影響を与えたかを先史時代から20世紀まで論じた野心作である。

 前回の記事はこちら。

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 目次

 

人類の居住地域と感染症、生態的バランス

 人類が熱帯亜熱帯にいる場合と、温帯まで進出した場合とでは接触する感染症感染症の持つ脅威や生態系のバランスは大きく異なったものとなる。先史時代のこれらの関係の変化を要約する。繰り返しになるが、本書の原著が1976年に出版されたことをお忘れなきよう。

 

熱帯雨林と人類、生態系のバランス

 (略)熱帯雨林は、寄生体と宿主、競争相手の寄生体同士、宿主とその食物という、三つの次元のいずれにも、高度に進化し完成した自然のバランスが保たれるのを可能にすると言える。何百万年も前、つまり人類が熱帯雨林の生態的環境を変え始める以前には、食う者と食われる者の間のバランスは、長い間ほとんど安定していたと推定してまず間違いないのだ。

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 サハラ以南の野生のサルは様々なダニ、ノミ、マダニ、蠅、蠕虫(ぜんちゅう)、多種類の原生類、菌類、バクテリア、さらに百五十種以上のアルボウイルスの宿主となっている。15種から20種のマラリアが野生のサルを侵す。霊長類、蚊、原虫の間では非常に長い間の進化的適応が行われてきたと推測される。人類の祖先が接してきた病気は回復も遅いが、重症に達するのも遅いという傾向を備えていた。

 熱帯雨林では一つの種が森林を支配するということはなかった。ここには地球上の他の地域(熱帯よりも低温またはより乾燥した地域)に比べて多種多様の生物が住んでいる。高温多湿な環境は、寄生体となる潜在的可能性を持った生物が、独立した生物体の中で、かなり長い間生存することを可能にする。つまり、宿主となる種(例えばサル)の個体数が少なく、密集していなくても、広範な汚染と感染をある宿主が経験しうるということである。寄生生物と宿主の接触機会が少なくても、熱帯では何らかの病気に感染しうる

 

人類の進化と病気の変化、熱帯の生態系の回復力

 熱帯雨林での人類の祖先、体内に巣食う寄生動物、人類を狙う肉食動物、人類に食われる動植物という生態系のバランスは人類の進化によって崩れることになる。その原因は学習の積み重ねによる文化的進化である。生物的進化、生態系との相互作用は非常に緩慢に進むため、バランスも大きくは崩れない。

 しかし、人類は急激な進化「定向進化」を遂げる。新しく獲得した技術によって、人類は自然界のバランスを変形させる能力を次第次第に向上させていった。肉体的心理的技術を習得し、狩猟と戦闘において人類は急速に強力となった。言語を習得し、社会的機能の統一が可能となった。反復、言語による伝達、体系化により生活技術は高度の完成に達する。

 病気の方はどうだろう。人類が熱帯雨林からサバンナに移るにつれて、寄生体は下記のような状況だったと推定される。

  • 密接な身体的接触が必要なものは影響を受けない
  • 高湿度を要求する寄生体との接触は減少した
  • サバンナの草食獣群との接触により新しい寄生体、病気と遭遇した(生肉の寄生虫が分かりやすい)

 

 サバンナの中で出会った恐ろしい感染症というと睡眠病がある。ツェツェ蠅がトリパノソーマを運ぶ地域では人類は睡眠病によって死の脅威にさらされる。

 サバンナでは人類はこれまで利用していなかった資源を利用し始め、生物界に新たな被害を与えることになる。完全な人間といえる狩猟人は食物連鎖の頂点に立った。つまり、ポピュレーションの増加を抑制する基本的な調節機構を失ってしまった(他の動物種とのマクロ寄生という意味においては)。それに代わる人口抑制の手段は、人間の人間による殺戮、そして望まれざる新生児の遺棄だったと考えられる。

 それでも、アフリカ大陸では汚染と感染が特に豊富かつ精緻なメカニズムを持っていた。蠕虫や原生類の寄生生物は免疫反応を生じさせない。つまり、ヒトの数が増えるほど、宿主から宿主への移動機会が多くなる

 

(略)ある決定的な限界を突破すると、感染症は奔流のように過剰感染となって爆発する。こういう、疫病の名に値するような状況は、通常の社会活動を阻害する。慢性の疲労、身体の痛み等の症候は、共同体全体に広がった場合、食物の獲得とか、出産、子育てなどの活動に重大な障害となる。これは直ちに人口の減少を招き、やがて、その地域の人口密度は、過剰感染が発生する危険度以下に低下してしまう。その後、この感染症に侵されない元気な個人が増えるにつれて、人間社会は活力を取り戻し、食物獲得やその他の活動が以前の通り繰り返され、やがて別な感染症が力を振るい始めるか、人口密度が危険な一線を突破して過剰感染が再発するまで続く。

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 狩猟民が増えすぎたことで獲物を得ることが難しくなり栄養状態が悪化していったと考えられる。上記の狩猟民の過剰感染(ミクロ寄生)は、栄養不足と相まって、先史時代のアフリカでは生態的バランスを回復させるのに役立ったと思われる。

 火災や干ばつなど気候や環境の変化も、人類にとっての好条件が維持されないことで、食物連鎖の頂点に立った人類の増加や徹底的な変革に対する抵抗となった。

 

温帯、寒帯への進出、寒冷地と感染症の脅威

 人類が進化してもなお、アフリカは生物的多様性に富んでいた。しかし、温帯や寒帯に人類が進出するようになるとこの様子は異なってくる。人類が火を使用したり、他の動物の皮革や毛皮を被るなど寒冷の地で暖を取る方法を学んだとき、事態はさらに大きく変化した。人類は四万年前から一万年前の間に南極大陸を除く陸地の大部分を占拠した。

 北方の森林や草原の野獣という新しい食料源を開発していくにつれ、生態的諸関係は急速に地球規模で変動していった。これを人類が成しえた理由は二つある。

  • 生存できるミクロの環境を作り出せたこと。(衣類と家屋による文化的適応の結果。生態的適応の必要度の軽減)
  • 熱帯の寄生生物、病原体から逃げられたことによる健康と活力の改善。 

  北方の温和な気候風土に適応する動植物は熱帯地方で旺盛に繁殖するものよりも数が少ない。さらに、温帯地方の生態的バランスは、熱帯よりも人間の手によって容易に乱されやすかった。

 通常はある生物のポピュレーションが大増殖すると、適切な強制手段が自然と作り出される。しかし、人類は資源が枯渇するたびに別の資源をあれこれ試み、新しい生活手段を考えることで、生物と無生物に対して支配を際限なく拡張させた。(生物、エネルギー資源など)

 北半球において南から北に向かうには寒さへの適応が必要だったためそれでも変化は緩やかだった。しかし、北から南への移動はそれは不要だ。アメリカ大陸では大型草食獣が短期間で人類により絶滅せしめられた。

 南から北の寒冷かつ低湿な地域へ進むたびに、寄生生物に曝される危険は小さくなる。他方で北から南の熱帯に進むにしたがって、寄生生物や感染症の危険は増すのである。

 

狩猟/採集から農業/都市へ、ポピュレーションの増加と新たな感染症

 人類が寒冷・低湿といった風土の奥深くに入り込んでゆくにつれ、人類の生存は大型動植物との生態的関係に依存する度合いを次第に強めた。ミクロ寄生生物が大した意味を持たない場所では、生存を左右する二つの重大因子、食物と敵を現実に見ることができる限り対処する方法を次々に発明していった。人類はこうして数百万もの人口を抱えることが可能となった。

 乱獲により大型狩猟獣という食物資源の枯渇、紀元前2万年以降の氷河の後退を伴う機構の激変という二つの要因から、狩猟に依存する人類の共同体は厳しい環境上の試練に直面した。食料探索の強化と新しい種類の食べ物の試食という対策に人類は向かった。海浜の利用をしたグループから舟と漁労の進歩が、食べられる草の実の採集に向かったグループからは農耕が発達した。人類の人口増加を抑える抑制機能に果たす役割について、熱帯以外ではミクロ寄生生物が果たす役割は相対的に小さかったと思われる。

 直接の肉体的な接触により宿主から宿主へと移行する寄生生物や、感染の影響が表れるのが緩慢で、宿主の人の活動力を急激かつ徹底的に奪うのではない寄生症の場合は、熱帯を出て人類と共に地球上を旅したと思われる。それでも感染症や汚染の種類は熱帯雨林に暮らしていたころと比して減少したに違いない。小規模な孤立した集団間を感染させるように寒冷地でふるまうには、ミクロ寄生生物側の生態的進化の時間が足りなかったのである。

 しかし、人の表面や内部に寄生する生物がほとんど不在というのは一時的な現象に過ぎなかった。

食料生産は人口数の爆発的増加を許し、都市と文明の誕生を促す。そして人類のポピュレーションは、ひとたびそうした大共同体に集中したが最後、潜在的な病原体に対してあり余る豊かな食料資源を提供することになった。そのさまは、われわれの遠い祖先が、アフリカの草原で大型草食獣の群れに初めて相対した時の脅威的な状況を彷彿させるものがある。こんどは微生物どもが、人類の村落・都市・文明の発達がもたらした新しい状況下で、思う存分の狩猟を期待することができるというわけである。

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 人口の爆発的な増加ミクロ寄生生物に好都合な環境を提供し始めた。それが都市だったのだ。

 

まとめ

 熱帯では人類は生態系の制約から、急速な人口増加は望めない。多種の生物の生態的な適応が追いつく前に、文化的適応により温帯、寒帯に進出することにより、人類はミクロ寄生生物の汚染から逃れることができた。しかし、人口の増加、人の密集により再度感染症を呼び込むことになってしまった。

 増えすぎた人口、密な環境は新たな感染症を呼び込む。2021年になっても続いているCOVID-19とも通じる要素である。次回は古代文明社会の発生と感染症をまとめたい。

 

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*1:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P50

*2:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P59

*3:McNeill,William H. (1976).PLAGUES AND PEOPLES. .(マクニール ウィリアム 佐々木昭夫(訳)(2007).疫病と世界史 中央公論新社,P73